皇の扉と皇の鍵の謎
遊戯王ゼアルにおいて、一番「謎」とされているのが、「皇の扉」だと思います。
皇の扉…最終話で、アストラルはこの扉をトラップモンスター、「運命の扉」として登場させ、遊馬は最後の最後で、これを壊してデュエルの幕を下ろした。
「この扉を開くものは、新たな力を得る。だがそのものは、代償として一番大切なものを失う…」
この言葉は、ゼアルを代表するセリフですが、結局、「一番大切なもの」がなんなのかわからず、また、特に「やがて」何かを失った気配がないので、もしかしたら、スタッフが忘れてるんじゃないかとか、奪わなかったとか、そんな憶測がなされていました。
私もこの皇の扉の謎を解消したくて、考察ブログを立ち上げたくらいだ。(理由はほかにもいろいろあります)。
ちなみに、「新たなる力」とは、「ゼアル」そのものを指します。
扉の先から、アストラルやホープが現れましたが、別に彼らは新たなる力っぽく見えて、そんなものでもないです。
「扉さん、大盤振る舞いww」ではないです。そう思っていた時期が私にもありました。
「いってえ…、またあの夢……」
遊馬の初めてのセリフはこれです。
遊馬は何度もこの「扉」によって悪夢を見続けていました。
1話で遊馬が「超かっとビング」で、扉と契約を交わした後も、ちょくちょく交信はあったみたいで、Ⅱの一番最初に白昼夢という形で(要するに居眠りの途中で見た夢だが)現れ、「扉との契約」を果たしたからと言って、その契約が終わったわけではないようです。
同時に、89話で、まさかのアストラルとご対面。
「我は汝を試すもの…」
として現れる。しかも、皇の鍵の世界に番人を招いてデュエルをさせる。
この時、遊馬、アストラル(ついでにNO.96)は番人との勝負に勝ち、ついに、二人そろって皇の扉と対面。
そこで、皇の扉は、アストラルの真の記憶…、ヌメロン・コードの存在を知る。
ちなみに、この時、「扉は開いていない」。
場所は、「あの扉が見せている、アストラルの記憶への道」だそうで…。
実は、皇の扉が開いたのは2度。一度は、アストラルが現れたとき、そして、二度目はゼアルになった時だけ。
皇の扉は、その存在こそ不思議でよくわからないものだが、ゼアルを知っていたり、ヌメロンコードを知っていたりと一筋縄にはいかない。
まるで、彼の言う通り「試すもの」として存在していたのか。
結局これだけ情報を出しても、一体何がしたかったのか。一体、扉は何なのか。等と首をかしげてしまうのだが、私はこの「皇の扉」……、遊馬の「精神世界そのもの」とするのが一番適当だと思っている。
「この鍵は、いろんな可能性の扉を開けられんだ」
と彼自身言っているが、悪夢に延々悩まされたまま、向かい合おうとしない。
「扉」に隔てられて、解放できない自分自身とジレンマ。
実は、自分自身の「可能性」にちゃっかり、鍵をかけているのは、ほかならぬ自分自身。そして、その中から現れた「自分自身の分身」デュエルの天才「アストラル」。
それらは、すべて自分自身の「鏡」だ。
そんな可能性のある世界を一方的に閉ざす存在…、それが実は「皇の扉」なのである。
では、そんな「世界を一方的に閉ざす」存在とはだれか。
それは「過去の遊馬」である。
というより、古来の戦いで別れた半身……、アストラルから分かれた「もう一人のアストラル」である。
「アストラルから別れ、遊馬として生を受けるまでの記憶を持った存在」といったらよいだろうか。
皇の扉は、その失われた知識や知恵、ゼアルの記憶等を持っているのである。
それは、アストラルの記憶も保持できているのは当然のこと。
実は、アストラルの力というのは「人の記憶に介入できる力」を持っているようで、時にナンバーズの力でそれをやっていたり、ハルトが一人でハートランド降りてきた時にそれを露わにしていたりするのだが、この皇の扉も、それに似た能力がある(=アストラルの真の記憶を取り戻す役目)。
呼び方がいいので皇の扉を「過去遊馬」とする。
「過去遊馬」の役目は3つ、1つは、アストラルと遊馬の邂逅、2つめが、ゼアルの解放、最後には、アストラルの記憶の復活である。
ゼアルというのも、実は、「遊馬を過去に戻す」行為、そして、「全盛期のアストラル」として復活させるための儀式である。
「全盛期のアストラル」を「完全体アストラル」とここでは称する。
詳しくは24話を見直していただきたいのだが、遊馬が、扉の中へ飛び込み、赤い光となる瞬間、“遊馬の姿が消えている”。のである。スローでみるとおそろしくホラー。
遊馬が「物質」から「エネルギー体」に変わることを意味している。(詳しくは、74話で語られるが、バリアン世界とアストラルは同質の世界と考えてよい)。
それは「物質」としての生を遡り、「エネルギー体」としての自分に戻ることを意としている。
【「可能性のある世界」を閉ざすわけ】
「過去遊馬」は遊馬の乗っ取りを考えていたのか? 過去の自分に目覚めるために…。
いや、それやろうとしてたの、アストラルじゃない(^^;
もしかしたら「過去遊馬」の存在理由は、「自分自身を守るため」だったともとれる。
悪を保持したアストラルは、わずかな黒いシミだけで、自分を崩壊寸前まで追いやった。
遊馬は強靭な精神力を持つが、彼の幼さゆえに、簡単に命が散らされる。それはアストラルも遊馬も変わらない。
ゆえに、「過去の記憶」が、自分の過去の自分が、彼自身を知らず知らずのうちに、セーブをかけていた。
自分自身を守るため、皇の扉は、可能性のある世界を閉ざし、遊馬をあらゆる危険から守ってきたのだ。
【過去の崩壊と未来への序曲】
やっぱり、皇の扉は最終的に、破壊されなくてはいけなかった。
その先の可能性の世界を手に入れるため、自分の過去と決別するため……。
あれほど、バリアン七皇に「過去の自分自身の真実」を伝えてきた、アストラルだが、当のパートナーである遊馬へはそのことを伝えていない。
おそらくは、バリアン七皇そのもののドン・サウザンドの呪いから解き放ち、「本来あるべき流れ」を築いただけ、遊馬にはその「本来あるべき流れ」すら必要のないことを意としているのであろうと個人的には考えている。
だから、過去にとらわれず、未来への恐怖へ打ち勝ち、別れの覚悟を決めるために、自らの過去の呪縛たる、「運命の扉」を自らが築いた「未来」で、遊馬に破壊させたのだろう。
遊馬はアストラルの「可能性」を幾つも見つけてくれた。
今度は、遊馬の番……、遊馬の未来と可能性の世界を、縦横無尽に走り回ってほしい。
そんな願いがかけられていたのかもしれません。
んで、実際どうなったのかというと、
ラストで、いきなり、「空中浮遊」をしでかしてます。
おい、皇の鍵のなかの船使えよ! と思っちゃったのは私だけでしょうか。
【「可能性のある世界を閉ざす」反論 一馬と皇の扉の共犯説】
個人的に考えていた説を提示しておきたいと思います。
1)皇の扉は、アストラルの完全体復活を願っている。
ゼアルとは、すなわち「過去のアストラル」に戻すことを意としています。
であれば、遊馬の「可能性ある世界」を閉ざし、「アストラルに戻す」…要するに再び魂をランクアップ(要するに死ねと)させることを意としています。
デュエルに負け続けさせておけば、いずれ遊馬は死にますから…そこで、アストラルと合体して元に戻る可能性もある。
過去遊馬はアストラルに戻りたい
遊馬は自分自身を歩みたい。
こんな感じ。
そりゃね、欠けているよりも一緒のほうがいいもんね。
個人的にそれは違うな、と思うのはだったら、枕元に立って延々説教をする必要はないということ。そして、危険を顧みてアストラルを地上世界に送ったりはしないだろうと思ったのです。
2)一馬と皇の扉共犯説
よくこの扉がやり玉にあがるのは一馬の関係ではないでしょうか。
個人的にはそうなのか、そうではないのか、読む方にお任せしたいのですが、やっぱり「扉と一馬は共犯」説を説いておこうかなと思います。
共犯説……、いやいや、何を共犯するんだよ。
と思うのですが、皇の扉と一馬が結託して、アストラルを遊馬の元に送り込み、使命を実行させた。という説ですね。
過去遊馬がすべて一馬に情報を提供し、アストラル世界を救わせるという願いと遊馬の成長を願い、二人で成就させた、ということです。
それを立証するためには、1つだけ必須なことがあります。
それは、過去遊馬と一馬が一度以上接触している、ということ。
方法は問わないが、これがおそらく、一馬と遊馬、アストラル、そして、皇の扉を結ぶ文字通り「鍵」になる。
これが立証されなければ、一馬が「遊馬とアストラルは同じ」ということを自分の手で導かなくてはいけない。
ここで過去遊馬と接触し、情報を得ているかいないかで大きく考察はぶれる。
そうでなければ、どうなるかというと、すべて一馬と未来が全部企てて実行した、ということになる。というより、皇の扉の存在をまず彼が理解しないといけないのだが、そういう描写がない。
そもそも「皇の扉」という遊馬の精神世界とどう接触をするんだ。ということになる。
ヒントは遊馬の1話の「またあの夢……」くらいなんです、しょぼいんです(^^;
もし、この夢に散々うなされ、それを父母に話していたりしてたらまた違うことも考えられるが、そうでもない。
「またあの夢……」がどのくらいの頻度で現れ、どう彼が苦しんでいたのかもそういう描写も見受けられないために非常に考察が困難です(笑)
50話ごとにに1~2回くらいしか姿を現さない扉に遊馬が苦しんでいた。という表現を与えるのは少々どうなのかな、等と思う所存。
個人的に、遊馬が一時的に皇の扉にのっとられて、そのお告げを聞いたりできれば、1発で証明完了なのだが、そうは簡単ではないのである。
では、この説の弱いところをちょっとつついてみる。
それはこれ1つだろうと思うのだが、「運命の扉」をアストラルが遊馬に壊させた意味である。
過去の扉が仮に父との共犯であるなら、アストラルは一馬をそのまま人間世界に戻さなかっただろう。
皇の扉と一緒に、一馬も葬る(をい)はずだが、彼はそんなことをせず、きちんと人間世界に返しているのだ。
要するに共犯であれば「皇の扉をとるか、一馬をとるか」ではなく「皇の扉と一馬をとる」はずである。
それが片一方を壊させ、一方を丁寧に人間世界に戻しているところを見ると、やっぱり共犯ではないのかな、などと思ったりもするのである。
3)一馬=皇の鍵 説
ちなみに、この説の発展形で「一馬=皇の扉」説というのもある。これは私が作った。
勿論、この説には「過去遊馬」の存在は不要であるし、典型的な「父親殺し」の物語として、遊戯王ゼアルは成り立つわけではあるが。
遊戯王といえばろくでもない親父の品評会であり、一馬もその一人だという前提に立つ。
アストラルは遊馬のことを
「遊馬の心の奥にあるのは、両親を失った悲しみ……
そして、悲しみの中で両親の教えを信じて生きていこうと、あがきもがいている」
と称しているため、これは「父親殺し」の物語ではないのかな。と思った次第です。
同時に2と同じですが、そこまで憎まれてたら親父を人間世界に返さないだろうと思ってます。