遊戯王ゼアルの考察と謎

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遊馬のメンタルについて

 

よくゼアルを語るうえで欠かせないのが、遊馬の精神力、もとい、メンタリティ。

ファンの中では、歴代最強とも謳われるのですが、それについて、少し語っていきたいと思います。

個人的には、メンタルに関しては結構折れてましたよね?w的な考えなんですけどね(^^;

 

●ゼアルはアストラルの問題を解決する物語である

ゼアルの主人公は遊馬なのだけど、メインとして挙げられるのはやはり、アストラル。

タッグフォーススペシャルでも、「遊馬はアストラルのパートナー」と書かれているのですが、その表現から枠をはみ出してはいない。

アストラルの抱えた問題を遊馬たちが解決する、それがメインの物語だから。


勿論、1期のアストラルと遊馬の関係は、どちらかというと、メインが遊馬だった。

遊馬の問題(デュエルの腕)にスポットを当てて、アストラルがなんやかんやして遊馬を育てていく、それが1期のメインストーリーだ。

アストラルは一見すると天才であり、潔癖で特に問題がないかのように見えますが、実は、問題が山積みされている。

個人的には、アストラルは、過去に半分である自分を失い、放置し、50枚のナンバーズを放置し、挙句の果て、人間世界では記憶を失っているわけで、言い方が悪いけれど、とても「優等生」とは思えない。
(だからと言ってアストラルが嫌いというわけではないので悪しからず、むしろ大好き)。

勿論、ゼアルが始まるまでの数千年間、何かしらの事情があったにせよ、仮に「放置」していたのであれば、それこそ問題ではないだろうか。

とはいえ、アストラル世界が「カオスお断り」の状況で、非常に閉じられた世界であることは変わらないので、そこから、文字通り「救世主」の役割を果たさなければいけないアストラルの心境はいかがなものだったのだろう。

 

また、アストラルは名前の通りアストラル世界そのものであり、アストラルの存在そのものが、アストラル世界と同意義である。

 

ちなみに、遊馬にとりつかなかった場合、アストラルは「悪のシミ」で簡単に滅ぶので、やはり、遊馬と一緒にいるべきだと判断した一馬さんは正しかった。


Ⅱ期のメインストーリーは、主にアストラルの問題が描かれている。

ここで「ナンバーズ回収はどうしたんだ」という方もいるのですが、これは苦渋の決断でしょうね。
なんせ、スパンが3年となっている中で、アストラルと遊馬の関係性をevenにしないと、物語が面白くならない。

 

遊馬はアストラルを守りたい、と言っていたが、遊馬もアストラルの「弱さ」に薄々気づいていたのではなかろうか。
そこで描かれるのは、アストラル自身の「弱さの露呈」である。
それは同時に「アストラル世界の弱さの露呈」でもある。


1期でもアストラルの「弱さの露呈」は実は垣間見れていた。


アストラル「戦うのは君だ、君が決めればいい」

遊馬「俺が負けたら、お前は消えちまう」

アストラル「デュエルをともにするなかで、私は君から多くのことを学んだ。私は、共に戦えたのが君でよかったと思っている。私は君の選んだ道に従う。それがいかなる道であろうとも」

遊馬「アストラル……お前、なんでそんなこと言うんだよ!もっとわめいたり泣いたりすりゃいいだろ!記憶を取り戻してくれ、このまま消えたくないって。そしたら、俺だって割り切って戦えんだよ。なのに…、なんでだよ…」(60話)

 

ここでアストラルは何も言い返してはいない。
1期ではアストラルは「ただの優等生」(前述の通りであまり優等生だとは思わないのだが)であり、多少の問題はスルーされていた。

しかし、2期から真月(ベクター)との一連のやり取りで、アストラル自身も完璧ではない、むしろ、脆い存在だと浮き彫りになる。

 


●遊馬のメンタルは強めに設定されている

 

一馬は「アストラルの記憶がナンバーズとなって飛び散る」ことを予測していたし、かつて失った自分だから、そのパートナーとして遊馬を選んだ。

私は、どうしても、一馬が遊馬にアストラルを取りつかせた理由が思いつかなかった。

仮にアストラルが別の人間を乗っ取った場合、遊馬にとって、問題なのは「デュエルの腕」だけだったと個人的には考えている。

あと、一馬は遊馬をアストラルに守らせたかった、これは逆もまたしかり。

仮に、遊馬のメンタリティなら、アストラルがほかの人と打ち解けなくても、シャークのごとくズケズケとアストラルの心に入り込んでいき、打ち解けられたと思う。

多分、問題になるのはゼアルになれるかどうか、だろうか。

それも二人のことだから、難なくクリアできるだろうと思う。


前述通り、アストラルの存在は、アストラル「自身」の問題と、アストラル世界の問題がごった煮状態になっている。

遊馬はかっとビング精神とは別に、この「アストラル世界を含めた」アストラルという存在を背負わなければいけなかった。

やはり、タフな人間しか、その使命を全うできないわけです。

そうなるとがぜん、遊馬の精神はそもそも「強くなくては」いけなかったわけです。


これも、公式で遊びすぎでしょ?w と思うのだが、遊馬の課せられた運命は「背負って走る」こと。

彼はその誰かを背負って走る、ことが「名前から」予定されていた。

遊「馬」だけに……、馬だから…。

いや、ダジャレじゃなくて本当にそうだから困る(^^;

これ、狙ってつけられていたら、まじでスタッフは確信犯。

 

遊戯王ゼアルを私が評価している点を1つ。

それはバッグボーンがしっかり描かれているのです。


個人的にはⅢが顕著でしょうか。

Ⅲは父からカードをもらい、兄からカードを教わっています。
この時点で、カードは「父との絆」であるのです。
これと対比して描かれているのが遊馬と一馬の関係ですね。
遊馬と一馬の関係を象徴するのは「皇の鍵」ですね。

WDCのⅢ戦で、相手の力を奪うために力を与えたトロン。
そして、その父のためになりたいと、何でもする、といったⅢ。

しかし、Ⅲが傷つき、倒れそうになってもトロンの姿はなく、逆に、遊馬のピンチに颯爽と現れて去っていく一馬。

これって、二人の父の対比になっているんだ。
と後から気づきました(笑)


遊馬もしっかりとバックボーンが描かれているのです。

遊馬の強烈なバックボーンとは、ズバリ「負け続ける」こと。

彼は親友の鉄男にも負けるくらい腕が弱かった。勿論、がむしゃらにやっていたからもあるだろう。

だけど、普通「負け続ける」ことは、すなわち「適性がない」ということの意味もあるので、そこで自信を失って、諦めてしまえる。

普通の人なら、その時点で(おそらくアストラルと会う前の段階で)諦めてしまっている状況だろう。

しかし、そこで父のかっとビングが生きてくる。

遊馬の良さも悪さは何がなくても「諦めの悪さ」であるからだ。


アストラルが

 

「デュエルは神聖な儀式だ。デュエリストなら、デュエルをすることで互いの気持ちがわかる」(7話)

 

と諭してくれたことは、遊馬にとっての「新たな視点」の提示なのだが(そこからカウンセリング道中に走っちゃったのだけどw)、それまではひたすらに挑み続けていた。


「大切なのは『かっとび続ける』こと!」と言っているけど、まさにそれですね。

しかし、本当に「負け続ける」ことが悪いことだとは私は思っていない。

おそらく、それがカウンセリング道中にひた走った原因でもあると、個人的には思っている。

負け続ける、失敗し続けるということは、嘲笑にさらされる、バカにされ続けることで、実は諦めるより難しい。

しかし、かつての天才たちは数ある「失敗」の中から、1%の成功を導いてきた。

 

遊馬は、そんな「負け続ける」という環境に身を置きながら、いつか勝つことを夢見ていた。

「負けることで失うものもあることを知った」

遊馬にとって、かっとビングの精神で、「負け続けても」失うものがなかった彼も、アストラルとともに歩むことで「負けること」に関しても意味を見出している。

「俺は負けるのが怖かった」

一度の失敗で一気に沈んでしまった凌牙。遊馬はそうはならなかった。


これも、本当、どこまで一馬さんの差し金なのかはわからないのだが、しっかりとした遊馬の「諦めない」心、人を信じる気持ち、知らず知らずのうちに遊馬の「ベース」として鍛えられていた。

ただその「良さ」が浮き彫りになるのは、残念ながらアストラルと出会ったからで、遊馬が1話以前まで持っていたのはまだ「つぼみ」の段階だった。

そう考えると、かっとビングがいかにすごいかわかるだろうか。


……ここまで書いて、個人はかっとビング教か、と言われれば別にそうでもないですよ(^^; ま、それはさてをおき。

 

 

 

遊馬のメンタリティに関してはこの記事1本かな。

いや、書かなくてもわかるでしょ、的な。

遊馬記事たくさん書くけどイマイチまとまらないですね。