遊戯王ゼアルの考察と謎

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「死」に「生命」で抗う ゼアルのテーマとは

「死」に「生命」で抗う


ゼアルのテーマ的なものにちょっとばかり触れていきたいと思います。

2期に関しては、完璧に「死」に「生命」で対抗するという話になってますね。

そこまで書くと「生きるって素晴らしい」みたいな、生命賛美になっちゃうところ、ゼアルはそれとなくカバーしているので「ただの生命賛美」には陥りません。

 

おそらく、「死」にあらがうというのは多分、ゼアルが「4」作目だからです。4です、死です。

……なんで、テーマ掘り下げていくとダジャレになるんでしょうかね、私のせいでしょうか…(ーー;


【ドン・サウザンドは死のモチーフ】

ゼアルのラスボスはドン・サウザンドです。このキャラクター、いかにも「死」がモチーフになっていることは皆さんお気づきのハズ。
ゼアルはこの「死」と戦っていくという物語に2期目からなっていく。

私としてはどうしても、ドンさんが閻魔大王にしか見えなかったんですね。

あの錫を以て、閻魔帳をパラパラ見ているような…。ドン・サウザンドの持つ「リライティング」能力もああ、閻魔さまじゃんけ。と思ってました。

でも、このキャラクターの元ネタは、おそらくこれではないかな?と思う。

バリアン七皇が「北斗七星」の名前にちなんだものだというのをご存じでしょうか。

 

ニコニコ大百科より引用

バリアン七皇の名前の元ネタが北斗七星と言われている(ドゥーベ→ドルベ、メラク→ギラグ、フェグダ→ベクター、メグレズ→メラグ、アリオト→アリト、ミザール→ミザエル、ベネトナシュ→ナッシュ)。

 

知らなかった……

 

北斗七星の一番下の星に「破軍星」というものがあります。この星をつかさどっているのは、七皇ではナッシュです。

 

実は、道教に、北斗七星をまとめる「北斗星君」という人物がいます。

 

北斗七星の神格化である北斗星君は死を司る白い服を着た醜い顔の厳格な老人であるとされる。

北斗星君は全ての人間の行いを調べて地獄での行き先を決定する、日本における閻魔大王のような役割を持つという。

また、人の寿命を記した巻物を持っており、そこに書かれた数字を書き換えることで寿命を伸ばすこともできるとされる。

https://dic.nicovideo.jp/a/%E5%8C%97%E6%96%97%E4%B8%83%E6%98%9F
ニコニコ大百科 引用終わり

 

簡単に言えば、日本版閻魔大王、ということになるでしょうか。
私的にはとてもすっきりしました。だから、彼の手下は北斗七星、バリアン七皇というわけなんです。

彼は「人の寿命を記した巻物」で、人間の「数字」を操るのです。多分、それで七皇もやられたのです。
ここが元ネタなら、やはり、ナンバーズの「数字」はズバリ「寿命」なのでしょう。

 

 【死にあらがう】

では、どう「死」と戦うのか。

それは、勿論「生命の力」を以て戦うのです。


物語はこうなのでしょう。

 

アストラルはドン・サウザンドにかつて戦いかろうじて勝利しましたが、アストラルは半分に分かれてしまった。

何故ドン・サウザンドを倒せなかったのか。

それはアストラル自体が「エネルギー体」だからにほかなりません。彼に「生命」はないのです。

その無理を悟った半身アストラルは、人間世界にたどり着き、父母を持ち、子供となることで、生命の力と絆を得て、再びドン・サウザンドと戦う。

 

これが、遊馬なんです。


うん、よくできたストーリーですね。

個人的に、「ああ、ゼアルってアストラルの物語なんだ」ということを再確認できました。

勿論、遊馬の活躍もあったのですが、その前の「前提」がもう、アストラルありきだったのですよ。

そりゃ、1期で、アストラルが最初に主人公になるわけだ。

原作分かる方には、アストラルは闇遊戯と見てる方も多かったのではなかったのでしょうか。


では、何故生命の力なのか。

というのは「皇の鍵」の考察を読んでいただきたいのですが……。

 

「生命アンク」=死者蘇生=皇の鍵=千年錠 と私はとらえています。

 

遊馬のデッキにちゃっかり「死者蘇生」というカードが入っているのですよ。

しかも1話でガガガマジシャン、ゴゴゴゴーレムというメインモンスターの間に、こっそり映ってます。

これをアンコール放送後に見て「また死者蘇生が来る、これはフラグ!」と思ってましたが、まさか意味があったとは…。

 

要するに、一度遊馬は死んでいて、人間世界で新たな生命として生まれ変わっている。これを本編中、ランクダウンと言っています。

闇遊戯の使う死者蘇生はどちらかというと自己主張的なものだと感じましたが、皆さまはどうお考えでしょう。

これ、おそらく、意図的に入れたんでしょうね。後半ほとんど使わなくなったけど。


何故かって、遊馬はもう十分に「生命の力」を持っているからです。

そもそも「生命の力」を持つ皇の鍵が、遊馬に宿ることによってその力が増幅されている。

なんといえばいいのか。遊馬が皇の鍵を持っていれば、彼に安心してすべて任せられる。みたいな。自他ともにそうなのでしょうね。

彼はそれだけでは足らないと考えていて、絆の力、つながりを以て、「死」と戦おうとしている。

理由はアストラル世界が「孤独」ゆえに弱まってしまったからでしょう。彼自身が孤独に陥らないために、絆に頼ろうとした。

後半「死者蘇生」の代わりに「ダブルアップチャンス」が幅をきかせます。

 

アストラルは、そもそも「生命」のことに関しては無知でしたし、遊馬に追従することで、「生命」や「生きる」ことの意味を追体験する。

そして、遊馬自身に「君の持っている使命」を思い出させるという使命がある。遊馬を覚醒させなければいけなかった。

勿論、遊馬はそれを自分のものとは知らずに遂行しようとする。

アストラルの「記憶がない」は遊馬にとっての「記憶がない」はイコールなんですよ。

だから、記憶探しをするたびに、二人はもともとの形、要するに「ゼアル」に戻るわけです。


遊戯王のゼアルのテーマとは】

ここまで書いて、ゼアルは「生命」と「戦い」を結び付けていて、それが単なる「生命賛美」ではないということなんですね。

生きることは戦うこと! ……う~ん、それも間違っていません。

 

遊馬「誰でも心のなかじゃ、良い心と悪い心が戦ってるモンじゃねぇのかよ!
でも、そっから逃げ出さなきゃ、きっとどんな事だってやり直せる!誰とだって分かり合える!
一人一人の苦しみも見ないで!何も知らないで!本当のランクアップなんて、出来っこねぇ!!」

 

そこに、ランクアップやカオス…等の問題が生じてくる。

遊馬のいう「戦い」とは「他者との結びつき」なんですよ。作中はそう言っていませんので、私が思う答えなのですが…。

デュエルを「武器」にしていたアストラル、そして、「つながり」として見ていた遊馬。その折衷案こそ、遊馬が見つけた「戦い」の意義。それすなわち「他者との結びつき」なんです。

彼曰く、戦う相手は自分の鏡なんだから、他人を通して自分を知ることができる、イコール、誰かと関わりをもてば、必ず問題は解決することができる、ということなんですよね。

 

すべてひっくるめると、遊戯王ゼアルという作品は

 

生命の輝きは戦いによって洗練される

 

このゼアルという作品は「戦い」、「結びつき」によっての「魂の洗練」を延々書いたお話なんですよ。


ここが気持ち悪いと思う人はそもそもゼアルが合ってないのかもしれません。

宗教色? オカルト? 原作なんかそんなもんだ。
私はオカルトも精神世界も神話も大好きなので何も問題ない(キッパリ)。

 

 


要するにチャレンジ精神を忘れるな、戦いを恐れるな、誰かとの結びつきを恐れるな。そこから必ず問題が解決する。

もっと短くまとめると、


かっとビング!


……初志貫徹という素晴らしい結果に(^^;

 

テーマがぶれていないから、その分、主人公を動かすのも楽だったのかな。と思うんですが、吉田さんのインタビュー聞くと、結構大変だったそうですね。


確かに最初、遊馬のかっとビングは「チャレンジ」という言葉の意味だけだったんですね。

でも、そこから、遊馬の実体験に基づいて、いろいろ発展させているわけです。

 

かっとビング!
それは勇気を持って一歩踏み出すこと!

かっとビング!
それはどんなピンチでも決して諦めないこと!

かっとビング!
それはあらゆる困難にチャレンジすること!


公式が最初にネタバレしちゃってるからなぁ(^^;

遊馬はきちんとチャレンジの中に、他人とのつながりを築いて、そこから、自分の確かなものを作っていったのです。

 

 

 

余談ですがこの話は結構後になってやろうと思ってました。

まぁいいです、リンクス実装記念ってことで。