【人物考察】神代凌牙 「運命」の先に見つけた答えとは。
【「かみよ」じゃない「かみしろ」だ】
「神代」は「かみよ」と読むことができる。「神代」とは「神代七代」これは、古事記における日本の成り立ちである。
日本では、鮫を「海の神」としているので、気になる方は、そのあたりは今一度皆さんに古事記を読んでくれるようお願いしたい。
しかし、個人的には、この「かみよ」呼びは若干、ナッシュっぽさがあるとはいえ、これを「かみよ」とは呼ばない。おそらく、神の「依り代」としての「神代(かみしろ)」と呼んだほうが個人的にはあっている。
もう一度言う。「神の依り代」なのである。
九十九もそうなんだけど、悲劇しか起きない名前ですわ(^^;
そもそも名前に答えが書いてあるのですが、彼の根本的な役割とは要するに「依り代」…要するに「代役」や「生贄」といった言葉に置き換えるとしっくり来るのではないだろうか。
彼はドン・サウザンドの後継者、バリアン世界を継ぐ者として「あらかじめ決められていた」存在なのである。
凌牙が一匹狼を気取るのは、そんな「避けがたい」運命から無自覚に逃避行をするためなのである。
シャークはそもそも「王」であり、指導力を持っている。カリスマ性もある。その力が本編でなかなか発揮されないのは、そこに「迷い」が生じているからに他ならない。
新たな人生を歩むべきか、それとも避けがたい使命に準じるか。
果たして彼の選んだ決断は?
【結束の力なき表遊戯】
凌牙というキャラを考えると、個人的には表遊戯というキャラが思い浮かぶ。
えっ、うっそ。なんでシャークが表遊戯!?
うっさいわ、遊馬は瀬人だし、カイトは城之内なんだよ!!
しっかり解説するから、待っとけ。(煽ってすまん)。
表遊戯といえば、臆病で、弱虫。
彼は城之内との友情や、闇遊戯たちとの関わりを以て、最強のデュエリストまで上り詰める。
最初、闇遊戯の「代役」でしかなかった表遊戯が、成長を経て「自分自身」になる物語である。
しかし、そのきっかけは「千年パズル」の結束の力、というものである。
その力で友情や結束をはぐくみ、使命を授かるのだ……が。
原作風に言い換えれば、凌牙もまた、代役である自分の運命から早々と脱却し、それこそ、主人公の座を奪う勢いで戦わなければいけない。
しかし、凌牙の場合は、はなから「友情」やら「結束」やらを放棄している。
どころか、使命を放棄し、逃げ回っている。
彼が逃げ回るのは「代役」という運命から逃れたいためであり、一匹狼になるのも、自分という存在を誰かに理解されたくない、ということが大きい。
理解されなければ、自分が傷つくことがないからだ。
この子は自衛本能ばかりが高くなってしまっているのである。その証拠が「サメ」。食いつき、噛みつきはお得意。
「自分自身」を貫いている遊馬の姿を見たら、それこそ「イラっ」とするでしょうね。
「バカが…」なんて言いつつ、実は遊馬は「憧れと嫉妬」の対象でもあるのです。
そして、そんな遊馬と友情をはぐくむわけだが、凌牙が輝くのは、そんな「誰かのため」の戦い。
遊馬たちと友情をはぐくんでいる間は調子がよくなるはずなのに、離れた途端、調子が悪くなる。
凌牙の強さとは「誰かに絶対の信頼を置く」ことだと思っている。
「信用」じゃないです、「信頼」です。
おそらくここだけとれば、遊馬もカイトもかなわないと思います。
アストラルと同じぐらいでしょうか(をい)、アストラルはもっと限定的だけどね。
凌牙の傍には、誰かがいたほうが強いのである。
例えば、ずっと離れずの璃緒とかね。
そういう意味では、原作でいう「王の立場」、「結束の力」にほぼ近しい力を有している「ハズ」の彼が、それに背を向け、嫌うのである。
そして、ナッシュを取り戻した際には、「友情」やら「結束」やらを放置したツケが回って、バリアン七皇は敗北の運命にさらされる。
全部ベクターってやつが悪いんだ。とか言っちゃいけない。
更に追い打ち。EDの challenge the game に「結束-Unity-」(遊戯、城之内、本田、杏子、御伽)のカードになぞられたシーンがありますが
「絆で明日を 繋いでいこう!」のシーンにも……残念、凌牙はいなかった。
このシーン、七皇と対抗する決意の場面でもあるんですが、しっかり7名揃ってるんですよ(^^;
誰だよ、こんなシーン仕組んだ奴は!(good jobだけど!)
【7歳で失われたもう一人の凌牙】
では、何故そんな「中途半端」な状態になっているのかというと、7歳で失われた凌牙の記憶のせいだと思います。
「7歳までの凌牙」…言いにくいので「真凌牙」とでもしましょうか。
この「真凌牙」の役割も「器」……もう、嫌になってきた。
「代役」だの「器」だの……なんで凌牙はこんなにも呪われてるのだか。
ここがね、個人的にはわからないのですよ。
そもそも、この「真凌牙」…死んでいるはずならバリアン世界にいるはずなんです。璃緒も一緒。
そして、バリアン世界にいるなら再会を果たしているハズが、しかし、そういう描写はない。
本当に「記憶を共有しているだけ」の存在なのか。
ということは、死んだまま守護霊になっているか、「二人の心を1つにしている」か、それとも「真凌牙」がナッシュを乗っ取ったか、どれかなんですね。
個人的に、「真凌牙」は再びナッシュの命を授かった時、ナッシュを乗っ取ったのではないか。と思います。
これ、誰かと似ていませんか?
この「ナッシュが真凌牙をのっとろうとして失敗」って、まんまアストラルが遊馬乗っ取りに失敗したという描写と同じ。
要するに、ナッシュが凌牙になったのではなく、そもそも、凌牙がナッシュを受け入れついでにのっとったというわけで。
ナンバーズにとりつかれるのも、その「真凌牙」の部分で、ナンバーズの声が聞こえるのは、おそらくナッシュの影響かなぁ、なんて思っていたりする。
そんな生存競争を勝ち抜いたわけですから、やすやすと「過去の運命」に自分の命をくれてやるわけにはいかないのです。
だったら、逃げるしかないっていうわけで、逃避行の旅から、自分自身を探そうとしているわけです。
凌牙って、要するに「自分自身との戦い」を延々と繰り返しているのですよ。
そりゃね、意固地にもなるわ。自分で精いっぱい。そこに肉親の事故が重なれば疲労困憊で倒れそうにもなる。
そういう「不幸な」シグナルも、やっぱり「運命に手招き」によるものなのか。
自分本来の道か、それとも、過去に戻り、自分の役目を果たすか。
「カードは心」というアニメの中で、唯一、シャークだらけで、心の見えない凌牙(そういう意味では私はシャーク苦手だとか言わない)。
少なくとも、使命や運命を持つ遊馬と出会うことで、「過去の自分と向き合う」決心をしたのでしょう。えっ、冀望皇バリアンは、遊馬の影響受けすぎたとか言わないで。
シャークだらけのデッキが、後半、七皇基軸になるという変異を見逃さないのであれば、彼の心もまた変わっていったのですね。
個人的には「受け入れて」、「乗り越える」という実に遊戯王の成長プロセスに準じたキャラクターだと思います。
ここがね、表遊戯の系譜なんですよ。「受け入れて」「認めて」「乗り越える」。
実は一番、遊戯王らしいキャラなんです。
いやいや、しっかり乗り越えていますよ。
Ⅳ戦の時も、遊馬と戦っている時も、ナッシュは何度も凌牙になるんですよ。
何度も言いますが「ナッシュが凌牙になる」んです。
そして、凌牙のまま去っていく。しかも、未練がましくなく、潔く去っていくので、前の凌牙を見ていると違和感を持つかもしれません。
「俺はお前のいない未来なんて認めない」
いやぁ、これ言われたら絶対嬉しいですよ。
遊馬はしっかりと凌牙を「本物」として認めている。
「代役」「器」の人生を経て、ようやく「自分自身」を見出した。
代役の運命に終止符を打ち、きちんと凌牙が生きた証となる。
そう考えると、あんまり凌牙って不幸キャラとは思えないわけで……おかしいかな。
むしろ、きちんと「自分が何者か」に対する答えをしっかり出したほうです。
ゼアルという作品では、珍しいタイプです。
というより、他のキャラがみんな聖人君主、人のために命投げだせるキャラばっかりだから、なんか、バリアン世界のメンバーが自分本位に生きているのが悪いように聞こえるデメリットよ…。
そんなこと全然ないんだけどね。それから考えれば、シャークは自分本位で生きていていいキャラです。
追記:今回、あんまり出来が良く無いなぁ……。
1回データが飛びました。全部ベクターってやつが悪いんだ(嘘です)。
とはいえ、書ききれない……。
もう少し書きたいことがあるので、リメイクついでに捕捉します。
これじゃまだまだなんですよ。
私が凌牙に遊戯っぽさがあると気付いたのは、「過去編」ですかね。
凌牙に闇遊戯と同じ運命を与えるのか、作者は…なんて思いました。
そこの辺をうまく加味できなかったので、書き直しします。
ベクターのほうがよほど書きやすいよ。もう!!